動 物 達 の 現 状

画像を多く掲載していますので少し重たいページではありますが、一人でも多くの方にこの現実を知って頂きたいと思いますので、ご迷惑をおかけしますがご理解の程ご協力お願い致します。

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動物管理センターでの殺処分と
  動物実験の現状を訴える写真展

これは、当会で行なっている「動物実験と虐待の実態を伝える写真パネル展」の中の一部を初めとして、殺処分の現状を訴える写真を集めたホームページ上での写真パネル展です。

「かわいそうと、目をそらさないで下さい。
目をつぶっては、何も解決しないのです。
知って下さい。今日も又明日も、この空の下のどこかで、
私たちが笑っている間にも、繰り広げられている哀しすぎる現実を。
知って下さい。
そして、あなたの声を貸して下さい。
いつか、こんな愚かな過ちが、この世からなくなるように・・・」


■40万頭の犠牲、数百億円の浪費 (写真1)
一年間に全国の動物管理センターで殺される犬・猫は約40万頭、その諸経費に約数百億円が使われています。毎年、無策のままいたちごっこのように繰り返し、多くの生命が無残な死に方を余儀なくされて、その殺処分に我々の税金が湯水のごとく浪費されています。
不幸な命を増やさないために動物の愛護及び管理に関する法律の徹底など、取るべき対策はいくつもある筈です。



■現代のアウシュビッツ (写真2)
暗い監房内はおびえた目でいっぱい。事故や病気で横たわった犬がそのまま放置されることも。 母犬が仔犬を抱えて守ったり、恐怖で気の立った犬が弱い犬に噛み付いたり...。
でも、ほとんどの犬たちは決して迎えに来ない飼い主を待つかのように、あきらめかけた表情でおとなしくしています。 足元が汚物にまみれた犬も。
猫は袋詰めのまま殺処分されていきました。



■怯える瞳 (写真3)
通常、飼い主から見捨てられ、持ち込まれた犬・猫は殆どが即日、捕獲された犬は3日後にガス室で二酸化炭素による殺処分にされる。(但し、各自治体により異なる) 殺処分の方法は、ガス室の処分の他に、地方では、内臓破裂で殺す極めて残虐な真空殺や薬殺、撲殺などが行われている自治体もある。



■この犬を殺すのは捨てたあなたです (写真4)
この中の8割が飼い主自身が持ち込む放棄犬。どの犬も3日後の殺処分も知らず、飼い主の迎えを待って、入り口に群がり寄ってくる。あわれ..。



■死への道 (写真5)
保健所の窓口や、またマスコミ報道などでも殺処分に関して「安楽死」と言う言葉が使われていますが、ガス室へたどり着くまでにも、我々人間の想像を超えた恐怖や不安があります。 あなた自身が判断して下さい。これが果たして安楽死でしょうか。



■さようなら (写真6)
身勝手な飼い主に飼われたがために、死ななくてもよい死に方をしてゆきます。その犬猫たちに何の関わりもない職員が無責任の後始末をさせられ、我々の税金が、殺すために使われてゆくのです。このような理不尽なシステムを一刻も早く改正したいと、あなたは思いませんか。



■これが安楽死? (写真7)
日本における、引き取り、または捕獲された犬の終末処理は衛生局の管轄です。従ってゴミ処理的な考えのもとに行われており、実際ゴミ処理のようなシステムで殺処分されています。
行政の唱える「動物愛護に基づいて」とか「安楽死」など、まやかしのセリフはかえって無責任な飼い主を助長する事にもなります。
欧米などの動物福祉先進国と言われる国との大きな相違は、動物を痛みや恐怖を感じる生き物として扱うか、日本のようにゴミ扱いするかの違いでしょう。



■犬猫は消費物? (写真8)
一体何のために生まれてきたの。
犬や猫を興味だけで飼って、面倒になるとまるで壊れたオモチャのように見捨てる人が後を絶ちません。一方でペット産業の世界では、今日も利潤追求と消費者の要望に応えるため、まるで子犬子猫製造工場のように、人間の手によって次々に新しい命がまるで物のように生み出されています。 人間のそばで生きている犬猫は時として、人間社会の中で経済効果を生む消費物として利用される犠牲者ともなっており、日本に生きる動物たちは 『商品としての存在』や『感情と感覚を持つ存在であることを否定され奴隷か品物のように管理されて生きる存在』または、『邪魔者として排除される存在』として扱われている場合が多いのが現状であると言えるでしょう。



■ガス室 (写真9)
通常、飼い主から見捨てられた犬・猫は殆どが即日、捕獲された犬は3日〜1週間後にガス室で二酸化炭素による殺処分にされる。(但し、各自治体により異なる) 殺処分の方法は、ガス室の処分の他に、地方では、内臓破裂で殺す極めて残虐な真空殺や薬殺、撲殺などが行われている自治体もある。
自治体によっては処分に際して、管理職員は立ち会わず、外部の業者に委託している所もある。



■動物管理センター(1) (写真10)
このような管理センター、愛護センターという名の大量殺処分センターの存在が日本の“隠された部分”であってはならない。日本の動物問題、生命ある物への接し方を見れば、現代社会へのゆがみがそのまま表れている。この毎日行う虐殺のしっぺ返しは我々にもいつか・・・。



■動物管理センター(2) (写真11)
殺すことが第一前程で、積極的な改善努力がなかなかなされない日本。嫌な物から目をそらし、事実に目を向けない国民の無知のうえに、あぐらをかくかのような現状。ただ殺すだけでなく、むやみに不幸な命を増やさないための不妊手術の普及、動物の愛護及び保護に関する法律の徹底など、取るべき対策はいくつもある筈です。



■動物管理センター(3) (写真12)
保健所での引き取りや、捕獲された犬の最終処分は衛生局の管轄であり、従ってゴミ処理扱い的な考えを元に行われており、実際、生き物としての恐怖や苦痛を無視したゴミ処理のようなシステムで殺処分されている。行政の唱える「動物愛護」、「安楽死」などまやかしのセリフであろう。



■保健所−引き取り日の風景−(1) (写真13)
飼い主は「一度隣り町へ捨てたが、2週間程経ってトボトボ戻ってきたので、今度は保健所に放棄に来た。」と話す。
目の色や、皮膚の色の違いで人間同士に争いや差別があってはならないように、いつの日か、足の本数や皮フの毛の深さや、尾の有無がどうであるかで、我々と同じように感情と感覚を持ち、恐れや痛み、苦しみや喜び、そして愛をも知る別の存在者を、ひどい目にあわせてよいということにならない日がくる。



■保健所−引き取り日の風景−(2) (写真14)
ペットショップで買ってきたのか、仔犬で貰って大きくしたのか、今まで信頼してきた主人の姿はもうない。やがて運ばれて殺処分される。
外の歩道は何事もない様に笑顔の人々が行き交い、車音が響き、町は平和そうな風景のまま暮れていく。



■保健所−引き取り日の風景−(3) (写真15)
「何故ボクをこんな所へ置いてゆくの」必死でむなしい抵抗をする。傍らのダンボール箱の中では、数匹の猫の赤ちゃんがキューキュー鳴いている。やがて、管理センターからの専用車に放り込まれて、各保健所を回り、長時間揺られて、死への末路へ運ばれていく。



■どうして私を置いてゆくの (写真16)
「年老いた犬は手間がかかる」と放棄。飼い主が去って行った出口方向を、時折鳴きながら、しばらくの間眺めています。撮影者が少し説得を試みたが、飼い主は「この犬はもう十数年も生きた。また仔犬が産まれたし、もう要らない」とそっけなく去っていきました。管理センターからの車が到着し、他の犬が次々車に放り込まれてゆくのを見て怖がり、つながれたヒモを引っ張って逃げようと暴れたため、職員にハンマーで頭部を一撃されました。

※注釈
上記の「ハンマーで頭部を一撃されました」の記述は、撮影者がこの写真を撮影した際のことで、現在でも行われていると断定するものではありません。



■処刑を他人任せにするシステム (写真17)
クリスマスの寒い前日、正月に里帰りをするからと保健所に連れてきた。「もう要らないから」と着飾った婦人は去っていった。身勝手な後始末を他人に任せるこのシステムが、無責任な飼い主を助長させている。動物は不用品やゴミではありません。



■どうしても飼えないのですか (写真18)
放棄理由は、引っ越し、近所の苦情、仔が産まれた、病気で汚くなった、世話が面倒など、ほとんど本人の対処次第で解決できる筈の理由ばかりだ。犬猫の運命は、飼う人間次第で決まる。何ら罪のない生命は邪魔者として見捨てられ、身勝手な人間には何の罪もない。



■迷子の犬も殺す (写真19)
町を放浪したあげく、市民の連絡で捕獲された。捨て犬でも迷子犬でも、飼い主が迎えにこない限り、行政は殺すことを業務とし、自ら飼い主を探すわずらわしさは行わない。『捕まえておきながら、犬の運命には無関心』な、現在の日本のシステム。 飼い主は、3日〜1週間(各自治体により異なる)の期日以内に探し求め、引き取りに行かねば命は絶たれる。
そして、奪われた命は、二度と戻らない。



■私は引っ越し、アンタとさらば (写真20)
マンションに引っ越しが決まり、車で飼い犬の放棄に来た。「考えた末の判断」だそうだ。主人を信頼してついてきた犬は、所内の監房から聞こえてくる犬たちの声の異様さに気付いたのか、足をふんばってささやかな抵抗。飼い主が去った後、監房内で壁をガリガリかきながら、遠吠えを繰り返していた。



■長期実験中の犬(1) (写真21)
衰弱しきっています。汚物にまみれたケージの中で、実験後の痛みに耐えなければならない。このような行為をしている人が、医者として同じく人間を診てる訳です。病気にはなりたくないもの。自分の身体は自分で守りましょう。



■長期実験中の犬(2) (写真22)
「医学のため」という大義名分のもとに繰り返される密室での「残虐」の数々。 日本では殆どの場合、実験施設や実験内容は全くの非公開です。動物実験が本当に医学の進歩のために必要ならば、なにも隠す必要はなく、全てが公開されるべきです。



■某所験動物監房 (写真23)
 −払い下げされた動物たち(1)−
日本では昔から、保健所に持ち込まれ、殺処分される犬猫を動物実験などのため、大学や研究施設、動物取扱い業者に無料もしくは安価で譲渡する、いわゆる「払い下げ」というシステムがあり、近年の動物愛護機運の高まりから、払い下げを廃止する自治体もこの10年あまりの間に増えてきていますが、未だ、まだ、多くの自治体で払い下げが行われています。
飼い主に捨てられ、タダ同然に払い下げられた犬猫たちは、手軽な実験材料として、過去から現在にいたるまで、大量に使い捨てにされてきました。 無責任な飼い主のおかげで成り立ってきたともいえる現代医学は、命を粗末にするだけでなく、人間の感覚をもマヒさせています。



■動物を使った手術の練習 (写真24)
研究室でやってるから、愚かな内容でも偉く思えてくるから不思議です。おごり高ぶった人間だからこそ行える狂気の行為です。



■実験に払い下げられた猫 (写真25)
 −払い下げされた動物たち(2)−
どんなに残酷で辛い実験にでも、じっと我慢しているような性格を持ったおとなしい犬猫が実験には適しているとされており、「人によく慣れている」まさにその理由で、人間に飼われていた犬猫が好まれて使われています。
今まで何の疑いもなく飼い主を愛し、信じてきた故に死ぬより辛い恐怖と痛みと孤独を与えられなければならない不条理・・・。



■何のために生まれてきたの? (写真26)
母親から引き離され、不安そうな瞳をしたこの子たちももうすぐガス室に送られる。ほんとうに最後のスイッチを押すべき人は捨てた飼い主です。



写真・原文 /津田憲志
校正・加筆編集 /プラーナ

※撮影者の原文を元に、プラーナで一部校正・加筆した文面となっております。


*このHP上写真展で掲載してある画像や文章は、撮影並びに執筆者、そして当会に著作権があり、無断でのコピー及び引用は著作権の侵害にあたるため固くお断りしております。




「児玉小枝さんの 『どうぶつたちへのレクイエム』


保健所の動物管理センターで殺処分される前のどうぶつたちの誇り高き最後の肖像を撮影したフォトジャーナリスト児玉小枝さんの写真展が各地で開かれ好評を博しています。
2000年1月に写真集も発売され、全国学校図書館協議会選定図書にも選ばれました。プラーナでもパネル展で、常時展示して紹介しています。2000年4月にはプラーナ主催で神戸で初めての講演会も開催しました。是非リンクしてみて下さい。



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